褒められたかった人生だった
ブログが続かない...
とかもうどうでもいい!!!
前回の投稿からすっかりブログの存在なんて忘れていた(読み返すと恥ずかしさで死ねる)んだけども、どうしても書いて整理したい感情があるので書きます。完全に自分メモ。
今週、やっと自宅ネイルサロンの準備や何かを始めて、誰も見ていないツイッターアカウントに「予約受付中!」という投稿をした。
それだけなんですけど。予約はまだ一件もないですが、それだけで、もう、本当に、心筋梗塞で今にも突然死キメそうなぐらいのかつてない死んでしまいたいマインドになりました。
私が「本来やりたかった事をする」という事には特別な意味があって、「特にやりたいこともないし気軽に出来そうだから始めてみようかな」ぐらいの人と同列で語られると心の奥が冷え込む気持ちになりますので覚えておいてください。(知ったこっちゃないですよね本当)
私の場合、絵を描くのが好きになった原体験がはっきりとあります。
小1の時に担任がすごく怖い女性の先生だったんです。
今思えばとんでもない叱り方だったと思いますが予鈴時に着席してなかったクラスのほぼ全員を廊下に立たせて授業を受けさせなかったり。給食のお残し厳禁だったので吐く子供が続出したり。
そんな鬼怖い先生に、図工の時間に作品を褒められました。滅多に褒めない先生に「これは秀作だね」と言われ、帰って母親に「秀作ってどういう意味」と聞くと、これまた滅多に人を褒めない鬼怖い母は「天才ってほどでもないけど努力したねって意味だよ」と教えてくれました。
それが、そんな褒められ方が、とても嬉しかったのを覚えています。
だから私が絵を描く時は「褒められたい」「認めてもらいたい」「肯定して欲しい」時だとはっきり言えます。
そしてそれは他でもない、両親に、一番して欲しかった事なのですが。
いくら絵を描こうが、それは幼稚園児の頃からずっとしてるだけのお遊びなので、親の目には努力にも、才能にも、特技にも、未来にも、映りませんでした。
なので、親が喜んでくれる「勉強」をしました。
親が喜んでくれる「大学」に行って
仕事はそこそこで、早く結婚して「嫁」に行きました。
親をひとしきり喜ばせたところで、働いて作った金でネイルのスクールに通いました。
それは当時の私にとって過去との決別で、本当の意味で大人になれた選択でした。
そこで資格をなんとか取ったのですが。
子どもを授かりました。
「やりたいこと<<<<自分<<<<<<<家族<<<<<子ども」
出産の痛みで記憶喪失になってこんな生活を続けていたのですが、もう、最近一気にタガが外れてしまって。
というか仕事復帰をして人間らしい生活を取り戻したら本来の「大人になれた自分の決意」を思い出したような感じです。(本当に世の全ての母親は偉大です)
そこで書き出しに戻りまして「予約受付中なう!」なのですが、いざ芸術に人生極振りしてしまおうかと思ったときに、「真っ当に生きてきたフリ」をしていた自分が全否定してくるのです。そして死にたくなる。
今まで辛い事があったら芸術を逃げ道にしてきたのにそこで挫折したら本当に死ぬしかないけどそれでいいのか。
辛うじて人に褒められるはずのことで失敗したら尊厳が保てないのではないか。
え、ヘタクソなのに。
経験もないし。
考 え が 甘 い の で は な い か 。
そんな、そんなこれらの事は人に言われなくとも100000000回はこのように自問自答しておりますので悪しからずご了承ください。
でも、もう、嫌なのです。
親のせいで美大に行けなかったとか、親のせいで就活がうまくいかなかったとか、親のせいでやりたくない事をずっとしてるとか、自分が親になって、こんな年になってまで、もう言いたくないんです、自分が一番言いたくない。
こんなウジウジした気持ちのまま娘に説教垂れたくないんです。
なので一度チャレンジしなくては、人生の次のフェーズに行けないのです。
私がネイルを選んだのにはもう一つ原体験があって。
小学校低学年の頃、クラスでポケモンが流行ってて、油性ペンでピカチュウのイラストを友達の手に描いてあげた事がありました。
それがなんか知らないけど大流行して、私は売れっ子の「手にポケモン絵師」としてめちゃくちゃ持て囃され、仲間も出来、絵を描いてあげた子にはめちゃくちゃ喜ばれました。
「褒められたい」の他に「喜んでもらって嬉しい」の気持ちが強く刻まれた出来事でした。
その後ずっと彫り師になりたかった時もあったのですが、ネイルに出会い、今に至ります。
そんなポジティブな気持ちで新しい人生を始められたらいいなと思う春でした。
書いてスッキリした、これじゃないと続かないな。