arehoudai

一歳ワーママの日々の葛藤

【後編】なぜ私は新卒きっぷをドブに捨てたのか

就活中、一番辛かった事は嘘をつく事でした。

社会の事も会社の事もなにもわからず、何のために就活してるかもよくわからず、自己分析をすればするほど、就職する事が向いていない現実を突きつけられ、本当は心が此処にはない事を嫌という程思い知らされました。

 

子どもは欲しい、出来れば早くに欲しい。そう思っているのに、いつでもどこにでも転勤できます!というていでいなくてはならない。

 

御社で出来る事なんて何も思い浮かばないのに空っぽな自己をアピールしなくてはならない。

 

ていのいい答弁でその場を凌ぐ器用さや賢さを持ち合わせていませんでした。

 

当時は今ほど売り手市場ではなかったので、就活を苦に自殺する学生の話を耳にする事もありました。

 

「何で来たの?」

そう面接で言われることもありました。な、何でですかね...ほんと...教えてほしかった。

 

デザイン系の専門学校のオープンキャンパスに行ったり、かと思えば葬儀屋の面接を受けたり全くチンプンカンプンでした。働くとは...(哲学)

 

そんなていたらくだったので彼の提案は本当に私にとっての救いであり体のいい逃げ道でした。

ただ私を必要としてくれる人がいる、その事実が堪らなく嬉しかった。

 

今になって思うのですが、当時の私に決定的に足りなかったものは、自己肯定感です。(結局これよ)

 

本当に向かいたい方向性とは直接関係ない事を学んできて、それをどう生かしたいか、それ自体を考えるのもまぁ難儀だったけれど「それでもこの道で良かった」と当時の私は思えなかったのです。

大学で学んだ事自体は好きな事だったし今の自分を構成する大事なパーツのひとつです。

しかし当時は「やりたい事から逃げてしまった自分」が後目に写ってしまって辛かった。

 

もしかしたら、この思いも全部、こうやって書いたように、人事にぶつけてお願いすれば良かったのかもしれない。新卒きっぷというのはそれが許されるカードだという事を私は理解していませんでした。

今の私がもう一度就活するとしたら

「だからこれから経理を学びたい」

を素直に伝えて事務系総合職を受けます。

それはそれで別の人生があったように思います。

 

でも、今の就活ノウハウの記憶を引き継いだまま就活をもう一度するとしても、私は安定した大手の会社は選ばないで同じような会計事務所を選ぶと思うのです。

 

会計事務所では自分の能力のなさを思い知り、軽い気持ちで士業を志そうとした自分を呪いました。また中途半端ヤローに戻ってしまった、せっかくのチャンスを無に帰してしまった。

彼には泣いて詫びました。

 

その後。彼に失望されたくない一心だったかもしれません。稼ぎたい、少しでもお金がいっぱい欲しい。次に選んだのは外資の英文経理でした。激務でしたが会計事務所の仕事よりは理解が出来た(部分もあった)し頑張れば認めて貰えました。

 

子供を産んで辞めましたが、産後に働いた所ではチート感感じまくりでした。

周りがどうしてそんなにゆっくり仕事しているのか。まるで精神と時の部屋カカロットを出し抜いて修行してきたベジータの気分です。(単に職場環境がいいだけだともいう)

 

 

就職したくなかった理由のひとつに、「就社したくない」という思いもありました。

自分で自分の人生を作りたいという思いがあり、また、やはりいつか「芸術」をしたい、そんな気持ちがありました。

 

なので一社に長年勤め続けるイメージも持てなかったのですが、それも「経理」という働き方に結果的にマッチしていく事になりました。(財務の仕事は出来ないかもね!)

 

どの会社に行ってもやる事はほとんど同じ、会社が潰れようがクビになろうがどこに行ってもとりあえず仕事がある。

気付いた時にはそんな働き方を実践していました。

 

また、これは経理として働きながら気付いてきた魅力なのですが、数字は嘘をつきません。

漏れやミスがあると必ずどこかが綻びます。

正義感が強く、細かい作業が苦にならないわたしには結果的に向いていた仕事だと、数年経ってから気付きました。

 

これからは素直に芸術をしていこうという気持ちですが、しばらくはこの「マトモに生きようと頑張ってきた」私に甘えてパラレルキャリアに甘んじようと思っています。

 

 

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(本当はこんなに穏やかな顔のムーミンでした)

 

 

結果としてあの時、新卒きっぷを彼に託してよかったと思っています。

 

全ての人が、大学を卒業し、希望の仕事、いい待遇の仕事につけるとは限りません。

全ての人が、卒業のタイミングで仕事にすぐ向かいあえるコンディションとは限りません。

全ての人に機会が均等ではありません。

 

 

私は新卒きっぷをブラックなドブに捨てましたが、それでもマトモに働けて、社会にも家庭にも居場所があって、自由な選択が出来る生き方を「堂々と」したいと思うようになりました。

 

一度の失敗くらいで人生オワタにしてたまるか。

(もう、何度失敗しているかわからないけど)

 

今まで自己嫌悪の塊でしたがここらで自分を肯定してもいいんじゃないかな、頑張ってきたじゃん。と、やっと思えてきました。

 

今が死ぬほど辛いなら就活からも逃げたっていいし、仕事だって辞めたっていい。子育てが完璧に出来なくたっていいし家事をサボって好きな事していい。

 

正社員じゃなくたっていいし派遣社員でもアルバイトでも無職でもいいじゃん。

 

もしかしたらこれは私が結婚して子供がいるからそう思えるだけなのかもしれません。

 

でも、私にとっての「家族」に位置するような、大切で大事なものがあるなら、他のステータスを人と比べて全てを無理に満たそうとする必要はないはずです。

 

今の状況を甘んじて認めること。

それで少し楽になりました。

 

こんなめちゃくそな大卒社会人もいるので安心してください。

 

皆様もどうぞ、ご自愛ください。

 

 

【前編】なぜ私は新卒きっぷをドブに捨てたのか

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2013年春に卒業し、今年で社会人も5?6?年目になります。

 

ここいらで今までの短い社会人生活を少し振り返ってみようと思いました。

 

われながらハラン&バンジョーなこの5年ほど(今思うとほとんど子育てしかしてない気がするけど)

それでも今が幸せなのは今までの私がたくさん頑張ったからなので、褒めてあげたい。

 

 

*******

 

 

私が就活を始めたのは3年の夏、今より解禁が早かったのもありますが、遅れを取りたくなくて学内のセミナーなどにも積極的に参加して情報収集に励みました。

 

そして内定がないまま、というかまだ全然、採用のピークですらなかったような気もしていますが、4年の夏には就活を辞めちゃいました。

 

大学を卒業した年の8月に税理士の簿記論の試験を受けました。(税理士試験は必須科目2つと選択科目3つの計5科目の合格を積み上げて登録します)

結果が出るのが12月。それまで会計事務所に就職して働きながら5科目取得を目指そうと考えていましたが、業界全体に蔓延る激務の実態に耐えきれず、ものの数ヶ月で体調を崩し、夢は砕かれ、もちろん試験にも落ちてました。

 

 

なにやってんだか。

 

自分に何度投げかけた事か。

 

何のために、そこそこいい大学を出たのでしょうか?

なぜ普通に、みんなと同じように、就職できなかったのでしょうか?

なぜ文学部卒で簿記の知識ゼロの所から税理士になれると思ったのでしょうか?

全然頭良くないのに?

勉強嫌いなのに?

バカちんかな?

 

 

なぜ私はこんなアホ丸出しな人生の選択をしてしまったのでしょうか?

 

 

就活中の、というか震災後くらいからの私のメンタルはズタボロで、多分人生で一番辛かった時期でした。

 

そんな時に出会ったのがのちに夫になる人、人生ではじめて出来た彼氏でした。

 

(ようは早い話が就活から婚活に切り替えてしまったと言ってしまえばそれまでなのですが。)

 

企業からはご活躍を祈られ続け史上最安値を更新し続けていた私のメンタル株価(?)はカレシという唯一の光、唯一の規制緩和に縋るしか存続の道はありませんでした。(?)

 

本当に危うかったし若かった。

若い二人は互いのことしか見えてなかった。

 

彼は一つ年上、正直まだ結婚なんて早いというような時期に、進路に悩む私に「これでお金の勉強をしてくれたら将来役に立つかもしれない」と大原に通うお金を貸してくれたのです。

彼は親の自営業を継ぐ予定の人ですが経営の知識はなく、不安がある事を話してくれていました。

なんてことはない、私に投資をしてくれたのです。

投資をするということは何かしらの価値を見出してくれていたという事。私はそれがとてもうれしかったのです。

 

やはり「芸術」に対して未練があった私は、税理士になって芸術家の支援をしたい、そもそも税金ってなんだ、何をいつどのくらい払うんだ。製作者にはまわれなかったけれど、何をするにもお金の事は大切だ、世の中がどうやって成り立っているのか、勉強したい、勉強して知識で人を、そして彼を支えたい、そう考えて大学在学中に専門学校に通いはじめました。

 

長くなりそうなので一度きります、

 

 

つづく

今日はショップのロゴを外注しました。

いや、そもそも、ちゃんとHPを作ろうと思い立ったところからどうせなら看板をピシッとしよう〜と軽い気持ちで、

だいたい1週間後くらいに上がればいいかなとランサーズで発注しました。

 

ランサーズは、ウェブライティングとは...?を体験したくて以前登録して軽くお小遣い稼いだ程度で最近は放置してたのですが。

「発注側に回る」経験もそのうちしたいなと思っていたのでいい機会でした。

 

そしたらぶったまげた事に、発注して、イオンで買い物して、帰ってきたらデザインが上がってきたんですよ...え、こわ...すご...やば...

 

しかもぐううううう...なんてかわいい...

早くお披露目したい所なんですが本当に私の脳みそをスキャンして書き出したの?ってくらいのイメージ通りっぷりでした。

 

応対も社会人(当たり前なんだけど)だし、レスポンス早いし、技量だけではないサービスの質がそこにはありました。

 

プロのフリーランスってこういうことだなぁ...

 

なんだか妙に感動してしまいました。

また、もう一つ学べた事として、自分のテイストを客観視してもらえた事で「答え合わせができた」ことです。

 

サンプルとして一番気に入っている爪の写真を送って、こんなテイストで、というのを伝えたのですが「ナチュラル系がお好みと把握しました」と確認して頂き、デザインもその方向性に合ったものを提示して頂きました。

 

「やっぱり私はこの方向性で行きたいんだ」

を確認し、看板に託せたというのはそれだけで価値のある事に思いました。

自分で描こうかなとかおもってたけどそしたらいつになっても仕上がらなかっただろうし時間を金で買ったような所もある。

本当にお願いして良かった...

 

他にも今日はシェアサロンを探したり、HPのことを調べたりなどした。

登録しなきゃと思っているサービスもたくさんある。

何よりチップを作らなくては。

圧倒的に筆を持つ時間を増やさなくてはいけない。

 

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これは今日ではないけどカラーサンプルを作るなどもしたよ。

色がめちゃくちゃ増えたんだけどあまり使いこなせていないので(たいてい赤青黄でどうにかなっていた)やはりチップをシコシコ仕込まなくてはと思いつつも明日から日中気絶しながら過ごす(あまりに心ここにあらず過ぎて)虚無虚無事務員生活が始まる...

 

あと3ヶ月は社畜をしなくてはなんだけど、はたして気持ちが持つのだろうか...

(でも明日になればウキウキでエクセルを更新するお仕事に励んだりするのであった)

褒められたかった人生だった

ブログが続かない...

とかもうどうでもいい!!!

 

前回の投稿からすっかりブログの存在なんて忘れていた(読み返すと恥ずかしさで死ねる)んだけども、どうしても書いて整理したい感情があるので書きます。完全に自分メモ。

 

 

今週、やっと自宅ネイルサロンの準備や何かを始めて、誰も見ていないツイッターアカウントに「予約受付中!」という投稿をした。

 

それだけなんですけど。予約はまだ一件もないですが、それだけで、もう、本当に、心筋梗塞で今にも突然死キメそうなぐらいのかつてない死んでしまいたいマインドになりました。

 

私が「本来やりたかった事をする」という事には特別な意味があって、「特にやりたいこともないし気軽に出来そうだから始めてみようかな」ぐらいの人と同列で語られると心の奥が冷え込む気持ちになりますので覚えておいてください。(知ったこっちゃないですよね本当)

 

 

私の場合、絵を描くのが好きになった原体験がはっきりとあります。

 

小1の時に担任がすごく怖い女性の先生だったんです。

今思えばとんでもない叱り方だったと思いますが予鈴時に着席してなかったクラスのほぼ全員を廊下に立たせて授業を受けさせなかったり。給食のお残し厳禁だったので吐く子供が続出したり。

そんな鬼怖い先生に、図工の時間に作品を褒められました。滅多に褒めない先生に「これは秀作だね」と言われ、帰って母親に「秀作ってどういう意味」と聞くと、これまた滅多に人を褒めない鬼怖い母は「天才ってほどでもないけど努力したねって意味だよ」と教えてくれました。

 

それが、そんな褒められ方が、とても嬉しかったのを覚えています。

 

だから私が絵を描く時は「褒められたい」「認めてもらいたい」「肯定して欲しい」時だとはっきり言えます。

 

そしてそれは他でもない、両親に、一番して欲しかった事なのですが。

いくら絵を描こうが、それは幼稚園児の頃からずっとしてるだけのお遊びなので、親の目には努力にも、才能にも、特技にも、未来にも、映りませんでした。

 

なので、親が喜んでくれる「勉強」をしました。

 

親が喜んでくれる「大学」に行って

 

仕事はそこそこで、早く結婚して「嫁」に行きました。

 

 

親をひとしきり喜ばせたところで、働いて作った金でネイルのスクールに通いました。

 

それは当時の私にとって過去との決別で、本当の意味で大人になれた選択でした。

そこで資格をなんとか取ったのですが。

子どもを授かりました。

 

「やりたいこと<<<<自分<<<<<<<家族<<<<<子ども」

出産の痛みで記憶喪失になってこんな生活を続けていたのですが、もう、最近一気にタガが外れてしまって。

というか仕事復帰をして人間らしい生活を取り戻したら本来の「大人になれた自分の決意」を思い出したような感じです。(本当に世の全ての母親は偉大です)

 

そこで書き出しに戻りまして「予約受付中なう!」なのですが、いざ芸術に人生極振りしてしまおうかと思ったときに、「真っ当に生きてきたフリ」をしていた自分が全否定してくるのです。そして死にたくなる。

 

今まで辛い事があったら芸術を逃げ道にしてきたのにそこで挫折したら本当に死ぬしかないけどそれでいいのか。

 

辛うじて人に褒められるはずのことで失敗したら尊厳が保てないのではないか。

 

え、ヘタクソなのに。

経験もないし。

 

考 え が 甘 い の で は な い か 。

 

 

そんな、そんなこれらの事は人に言われなくとも100000000回はこのように自問自答しておりますので悪しからずご了承ください。

 

でも、もう、嫌なのです。

親のせいで美大に行けなかったとか、親のせいで就活がうまくいかなかったとか、親のせいでやりたくない事をずっとしてるとか、自分が親になって、こんな年になってまで、もう言いたくないんです、自分が一番言いたくない。

 

こんなウジウジした気持ちのまま娘に説教垂れたくないんです。

なので一度チャレンジしなくては、人生の次のフェーズに行けないのです。

 

 

私がネイルを選んだのにはもう一つ原体験があって。

小学校低学年の頃、クラスでポケモンが流行ってて、油性ペンでピカチュウのイラストを友達の手に描いてあげた事がありました。

それがなんか知らないけど大流行して、私は売れっ子の「手にポケモン絵師」としてめちゃくちゃ持て囃され、仲間も出来、絵を描いてあげた子にはめちゃくちゃ喜ばれました。

 

「褒められたい」の他に「喜んでもらって嬉しい」の気持ちが強く刻まれた出来事でした。

 

その後ずっと彫り師になりたかった時もあったのですが、ネイルに出会い、今に至ります。

 

そんなポジティブな気持ちで新しい人生を始められたらいいなと思う春でした。

 

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書いてスッキリした、これじゃないと続かないな。

 

 

introducion

 

自己紹介

 

初めまして、みついしもいともうします。

 

千葉県在住で1歳の娘と主人と暮らしています。

 

その昔、アニメ漫画ジャンルでファンブログをやっていましたが、

twitterが出てきてからはめっきりその手軽さに惹かれて、

いつからかブログなんて大層なもの、、、という感覚になっていました。

 

昔はもっと気軽に日常に関して深く掘り下げて色々書いていたなぁ。。。

 

そんな感覚が思い出せればいいなぁと、ブログ始めてみました。

初期投資をしてしまったので(mac book airを購入)もう後戻りはできないぞ!

 

 

今後書きたいこと

  • 子育て
  • 共働き
  • 保育園
  • 政治
  • 暮らしのこと
  • お出かけや買ったもののこと
  • 家族のこと
  • 仕事のこと
  • 職場のこと
  • 人について

 

趣味

  •  音楽(激しいのからマイナーのから有名なのまで、基本メロディラインがはっきりしているものが好き)
  • 美術
  • 漫画アニメ
  • コスプレ
  • ネイル
  • うーん、仕事?

 

コメントなどいただけますと素直に嬉しいです。

一度公に出した言葉、どんな受け取られ方をしても構いません。

お手柔らかにお願いいたします。

 何卒宜しくお願いいたします。